豊かな生活の価値観について、時代や環境、生活、金銭、時間、健康、人間関係など、人それぞれの感じ方、共有、共感できることを考えてみました。人生の価値観なんて、人それぞれ異なるもんなんです。
時代、環境、生活の変化に伴う豊かさの違い
情報も、通信ツールもこの四半世紀で、大きく変わりました。
世界中の情報や文化、画像、個人情報まで手にすることができる情報が氾濫しています。待ち合わせに、スマホなどもなく、時間に遅れて待ちぼうけやすっぽかしも多かったり、思春期には家の電話に交際相手から電話をもらうと、親の干渉が気になったものです。犯罪も低年齢化し、子供に携帯電話を持たせなければならないのも現実です。一方、近隣の人や家族、同僚とも、直接顔を合わせられる距離でもネットで会話を済ませて、都合が悪いと無視や拒否ができる、希薄な関係になりました。
多大な情報の中、ポイントや、アンケート、モニターサイトも限りなくあり、何をどう選べば得なのか、知らない人が使いこなせていないでお小遣い稼ぎを、逃しています。個々人の意見も簡単に投稿されて、同調したり反論したり、匿名のため人に対して大きな影響を与える言葉を簡単に投げつけているものもあります。
世界の情勢や、異文化を興じられることはこの時代の豊かさです。
幼少期から、高齢期までの間に、使い方や取捨選択は、変わるものの、在宅でも外出先でも海外でも、自ら情報を得られるようになったことは、新聞、テレビ、ラジオのみで、与えられるだけだった環境、生活より豊かになったのではないでしょうか。
ただし、まだ課題も多く、インターネット故の弊害、他者、多文化などへの影響、事故のアイデンティティ保持については、私たち個人が豊かさに慣れて、見失わないでいたいなと思っています。
個人的には、海外の友人や、習慣、情報を、知識として得られることは喜びです。
でも、即座に自分の生活や考え方を左右されないように、心がけています。上手に、日常生活に取り込めると、視野が広がる豊かさが得られるのではないでしょうか。
動くこと、働くこと、の幸せ
様々な理由で、室内で過ごさなければならない経験をした人もいらっしゃるでしょう。子育てや、介護、けがや病気など、想像はできても経験してみないとわからないことがあります。バブル期と言われた時間はお金をたくさん持って、車や家、ブランド品を身に着け、浮かれた街に繰り出すことが豊かさの象徴でもありました。
個人的には、様々な経験をした中で、自分思い通りに時間が使えないことの、厳しさを感じました。人間は生きていれば苦楽が伴うのは当然と思っても、受け入れられなかったり、ストレスや悲しみ、苛立ちを感じると、つい、日々のあたり間瀬のことにありがたみを感じるのを忘れてしまうのですね。
最近、痛い思いをしてやむを得ず、物理的に身動きの取れない期間がありました。その間、痛みや不安よりも今まで何も考えずできていたことが、なんとありがたいことなのか、改めて気づかされました。外出、人に会う、メールする、歩く、お風呂に入る、買い物、ゴミ捨て、洗濯炊事など、面倒ながらも、できていたことが、全くできなくなりました。
座ること、足で歩くこと、ご飯を食べること、挙げればきりがありませんが、歩いたり自転車に乗っている人を見ると、すごいなと思う日々です。失ったものもありますが、以前とは違う生活を送る上で、初めて気づいた、当たり前の動きが人間に与えられた豊かな、いきものとしての能力なのです。忘れてはならないのは、すべての人が当たり前の動きを与えられているわけではないということです。
憐れみを求めるわけではありませんが、決して私もこれまで、身体的には平均的ではない者です。それでも、いつの間にか工夫して、できないことはカバーしてきました。その経験があってさえ、忘れていた健康のありがたさを再認識しました。 他人に強制する経験ではありません。
時間、金銭、人との関わり、共有できること
多少の変化や、違いはあっても、友人、知人、同僚、家族との平穏で、忙しく追われるように毎日を送っている方も多いのではないのでしょうか。例にもれず、私もあるべき出来事やハプニングに見舞われつつ、過ごしています。
それぞれの心配事は口には出さなくても、誰しも持っている中で、踏ん張って生きている私たちですね。
その中で、何もしてはいけないという、苦痛ながらも、時間をたっぷりもらえる期間は得難いものでした。
待つこと、動かないこと、考えないこと、は、日常ではほんの少し時間を割くことはできても、次のことを考えてしまいます。あれもこれもやらなければならないことが多いからですね。最初は、我慢できなくて、感情的に焦りや苛立ちに自分をコントロールできませんでした。
しばらくすると、人間は慣れるもので、人からは良く言われても理解できなかった与えられたお休み、の意味が理解できました。時間の使い方は人それぞれなのだということ、休まないと気づかなかったことがあります。基本的な動き以外は、自分のための時間と空間をわがままに思い切り楽しもうと思ったのです。
ネットや、テレビもない中で、毎日朝起きて眠るまでを、長く感じた時もあります。
そのおかげで、自分自身を見つめなおし、接する人からの言葉に感謝し、これからのやりたいことを、考え直す時間が持てました。家族以外の全くの他人なのに、毎日様子を見に来てくれるご近所の方々、すぐに駆けつけてくれた方々、久々にネットを開いて、気遣いのメールや、電話、通院時、付き添いや送迎をしてくれる方々、皆さんの心の余裕を痛感しました。
新たな出会いもありました。優しく声をかけてくれる小学生、紳士淑女の方々こんな豊かな生活は、自分にばかり目が向いていた時には気づきませんでした。
こういうと前述の、自分に目を向けたということと矛盾しているように思いますがその時間があったからこそ、少し視野を広げられるようになったのだと感じます。
時間に追われる生活に戻っても、皆さまのようにちょっと自分の時間を大切に思い、いとおしく思い、どんなことでも周りに心配りのできる人が、豊かなのではないでしょうか。
もちろん、金銭的にもある程度余裕があるのも、心の余裕には欠かせないと覆います。いつかそうなりたいですね。
そんな中、同じ時間、知らなかったことや物、趣味や話題を共有できる人がいることが、孤独な毎日の中で救われた宝物になりました。ちょっとでも、隙間の時間に、嫌なことを思い出すのではなく、自分って幸せだなと思って時間を作ってみてはいかがでしょう。
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